天皇のマスクの効用
[2022.09.21]
一連のコロナ騒動をみると、良きにつけ悪しきにつけ日本人というのは極めて特異なキャラクターを持っていると感じます。一言でいえばお上に極端に従順で、性善説に基づいており、一旦方針が決まると容易には進路変更が困難であるという点です。例えば神武天皇以来続いてきた縄文+ユダヤの天皇家が明治以降外国に背乗りされようが、天皇家は天皇家として疑うこともせず、その体制が政治家や企業にも及んで戦争や亡国所業で庶民が痛めつけられても、ひたすらに信じ続けるというなんともいじらしい特性と言えます。その背景には強力な情報統制と検閲があり、いわば洗脳・情報鎖国に近い状態が長い間続いてきたことも大きな要因と言えます。しかしSNSによって徐々に情報は拡散し、コロナに関しては既に外国は(日本以外は)覚醒し、その欺瞞に十分気がついています。大リーグや世界選手権の会場などでは顔オムツはほとんどみかけません。そんな中、英国女王の葬儀に天皇(陛下?)が出席し、公式の場では顔オムツを外すという状況が生まれたことにより、いくら政治家や末端メディアがオムツを外す論議をしても実効性がない状況で、やはり「天皇のノーマスク」は一味違ったインパクトがあったように感じます。葬儀自体は残念な出来ことではありますが、ここで天皇のノーマスクがメディアに晒された状況というのは日本人のおむつ観念からの脱却という点からは正に時を得たイベントだったと感じます。また葬送の車列を囲む大観衆のノーマスクも同時に流れ、イヤでも日本の異常なオムツ状況が実感されることになったのは一石二鳥と感じます。ワクチンの疑惑に気が付くこととオムツへの違和感は親和性があります。現在の歪なワクチン行政への「ノー」を広めることに天皇が目に見えない力を発揮してくれることを心から期待しています。