メニュー

子どもたちの環境整備を

[2023.10.22]
大きくでたタイトルですが、如何でしょうか?具体的に言うと、医療・教育的・食事的なジャンルです。大人は自分で考えて判断しますからハッキリいってどうでもいいのです。この情報社会で有り余る玉石混交のなかから取捨選択するのはある意味おとなの自己責任です。けれど子どもたちは違います。成長過程では安全な食や医療、教育は不可欠で家庭の経済状況に左右されてはいけませんし、チャンスは平等に与えられるべきです。しかも良質なものを。良質の意味は議論のあるところですが、例えば食などは給食においてはオーガニックであったりバランスのとれた内容を提供してあげたいと思いますし、医療なども救急医療などはもちろんですが、マスクなどの過剰な感染症対策や選択肢の少ない予防接種(時として過剰なものや安全性に問題があるものも含まれます)などは改善が必要と感じます。このあたりは特に新型コロナやユニバーサルワクチンに絡んでの問題提起が増えています。また受診や教育の機会なども家庭の事情などに悪影響を受けないような行政バックアップが必要でしょう。特にシングルマザーなどの場合は母親の負担を減らす工夫が必要と感じます。離婚やLGBT絡みのトラブルからは子供は守られるべきであり、近年問題が表面化している人身売買などに巻き込まれないような法的対策は必須だろうと思います。教育面でもどうでしょうか? 昭和世代の私ですが、たしかに沢山の歴史的資料があるはずの現代史は授業・入試にはほとんどありませんでした。学生運動などの影響で制服をやめようなどの動きはありましたが、学校行事での君が代の起立斉唱が無いなどとということは一度もありませんでした。おかしな風潮が出てきたのは息子・娘たちの世代位からでしょうか。日本は特に江戸、明治朝以降、どのように運営されてきたのか? 外国、特に金融資本業界に翻弄された歴史などはとかく影に追いやられ、怪しげな時代小説が事実のような仮想のイメージがはびこっています。一つ一つの歴史的事象のの受け取りは個々の受け取る立場によって異なることは止むを得ませんが、発生した事象はそのまま子どもたちに伝え、自分なりの解釈をさせる必要があると考えます。また、個性を伸ばすと言いながら、全く一律の教育メニューを押し付けるやり方は改めるべきだと思います。苦手な部分を伸ばすよりも、好きな分野や得意分野をどんどん進めていき、飛び級や遠隔AIを利用したさらに高度な内容の勉強なども個別に対応するべきであり、極論を言えば最低限の読み書きそろばん以外は何でもありでいいと思います。運動会なども文化祭の一部で十分です。誰が足が早いか?や力が強いかなどは日頃から子どもたちは知っていますし、別にご披露するようなものでもありません(個人的感想)。まずは他人を尊重して団体生活に慣れることが学校かと思います。気に入らんやつもいるけど、まあ我慢しとこうやという感じです。いじめ問題などはSNSなどが絡んで言葉の暴力なども増えていると聞きます。無理して登校することはない、遠隔授業で最低限はやって卒業もOK、学校以外の活動で友達ができればそれで結構、くらいは社会がバックアップし、できれば自分の得意な分野で自立していくのがベターなのではないでしょうか? 横並びで大学までいったけど、なにかスキルが身についたのだろうか? 2〜3年かけて就活しても差別化して自分をアピールするようなものはなにもない!と自覚した時点で詰んでいませんか? 小さい頃から、大げさに言えば何人出産しても安心・安全な環境、子どもたちがのびのびできる環境、自分の得意分野で自立できる環境、これらがシームレスに継続可能な環境を次世代には準備てあげたいと感じます。もうこれまでのやり方では限界がある、いろんな分野で!と感じてらっしゃる方は多いのではありませんか? 変えていかなければならない時期が来ていると強く感じます。
▲ ページのトップに戻る

Close

HOME